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2000年日本JC 寺田委員長との出合い ③

2017.08.25

2000年1月29日(土)、京都会議の会場には、朝9:00過ぎに着いた。

 

 

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小会議場で10:00から会議が始まった。

 

驚いたことに、会議室後ろで産経新聞の記者が取材しているではないか。

 

 

(記憶としては二回目当たりの委員会だと思うのだが) 寺田委員長は冒頭意外な言葉から始まった。「先日、素晴らしいFAXを頂いた。有り難う。」と、感謝の言葉で始まったのだ。私が送ったFAXである。全員の前で、特にコーディネーターの横田OBの前で発言する意味があったのだろうと思うが、驚かされた。不安が吹っ切れたような表情だった。それ以来、委員長との関係性はかなり緊密になっていった。その数日後、橿原の居酒屋でお話しすることになる。

 

 

そして、我々の手で副読本を作成することになったことを表明された。

 

編集等の話になって、上越の高鳥君が、知り合い二名に校正作業を打診すると発言した。

高鳥君も、委員としての発言をここぞと言うときにしてくる。頭のいい、空手家でもある凄い漢だ。そして政治家を目指す、政治家の家系だ。こういう並外れた人がいてくれて、ほんとに助かった。

彼は少し後に、「あの文章はよく出来てます。今後あなたとは、戦略を練って行くことになるでしょう。」と話しかけてくれた。お世辞でも、うれしかった。

またある懇親会の場で、彼の子供の話が出た。「頑張っているちいさな手を見ていると泣けてくるのだ」と言って、父親としての優しい面を見せた。

 

 

しかし、彼とはあまり関われなかった。後に触れる。

 

 

副読本(提言書)には、どうしても抵抗がある。

 

 

一時間ほどの委員会後、委員長は小林よしのり氏の楽屋へ行く人を募った。

 

意外と少なく、委員長が先頭で宇和島の木下君と私の三人で楽屋へ向かった。朝、渡されたばかりの名刺を携えて。

 

 

楽屋入り口で、二人とも大人げなく興奮していた。

宇和島の木下君は「昔から大ファンです。」と言っていた。

私も興奮していたので、「彼よりも大ファンです。」くらいのことしか言えなかった。小林氏は名刺を見て、「三重県ですか。(教員組合が強く)酷いところですね~」と仰った。「いえ、大丈夫です。」と何故かそう答えていた。

翌週かその次の隔週のサピオに、京都会議の模様が詳しく描かれ、三人との様子が小さかったが一コマ描かれていた。いつも見ているマンガの中に小さいが自分が登場したのだから驚かない訳がない。

 

 

 

13:00になってセレモニーと会頭所信演説が始まる。当時新任の会頭は有名企業UCCの上島氏だ。

その後、パネラーによる講演が一人づつ行われた。渡辺氏、金女史、小林氏の三名。

小林氏は、ギャグ漫画家としての本領を発揮して、過去のJCの「女体盛り」事件や、サヨク思想である「地球市民」運動をおもしろおかしく取りあげ会場を沸かせたが、本題の教科書問題、歴史認識についてまじめなほどに訴えた。

それが、”怖い人”に見えた可能性があった。

当時は、一般的には保守思想を間近で聞くことがほとんど無かった。テレビや新聞の風潮は、ほとんどが左翼思想で埋まっていたのだから、いたしかたない。

 

「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ 2003年7月13日レギュラー開始)は、放送する地方局が徐々に増加していった。次第に視聴率も上がっていき、保守が左翼を凌駕していく現象を起こした事に間違いは無い。だが、現在のこの番組の有り様には、けっして関心が持てない。嫌悪すら感じてしまう。

 

寺田委員長は、どうも小林氏を右翼と捉えていた節がある。数ヶ月後、委員長は東京で小林氏に会いに行くのだが、その時も私にどういう人なのか怪訝そうに尋ねてこられていた。当時、「右翼」と言う言葉は、日本JC役員を始め委員会幹部・事務局、そして委員会の内外で頻繁に意識された概念であったろう。それが次の会議以降から少しずつ変遷していく様は、私の体験とほぼ同じであった。

 

 

今まで京都会議がこんなに高揚する場だとは知らなかった。めまぐるしく変化するし、興奮が醒めやらない。

懇親会の会場は、久居のロムと当委員会の二会場。京都会議を楽しみにしていた松本理事長は、京都入りした前日からインフルエンザで高熱を発し、入院していた。残念であったろう。

 

 

 

当委員会の懇親会場は、八坂神社正面周辺の料亭。京都会議では、JC料金で一律1万円。そこもそうだったのではなかったか。

 

 

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懇親会後、ロムナイトにどうかと誘われたので、遠慮もせず初めて他ロムナイトへ参加した。

 

 

そして慌ただしい京都会議が怒濤のように終わった。

以降、提言書について悩んだが、答えはまだ出ない。

 

 

 

翌日の産経新聞社会面に、結構な量の記事が掲載されていたが、周囲に産経新聞を購読している人は、委員会内部にもほとんどなく、ついぞ話題に上らなかったように記憶している。