「神旅」のはじまりは ①・・・サムハラ神社⛩へ
2016年の8月17日朝、私は名古屋駅から岡山行きの新幹線に乗っていた。従業員と二人の「神旅」だ。
夏休みだからか、平日の朝から九州方面への乗客は多い。
三重県の片田舎から、岡山県の山奥まで行く価値が本当にあるのだろうかと思いながら車窓を眺める。
時間が充分あるので、一連の事を思い出しつつ行く価値について検証してみた。
さかのぼれば2015年の春、ふとしたきっかけでとある物理学者の動画が目に入って来た。
聞き慣れない神社の話題に触れている。いわゆるトンデモ学者のようだ。
私は昔から、トンデモ学説には拒否反応を抱かない。「保留」という形を取る。
数十年前にも工学博士の故政木和三氏の著書を数冊読んだことがあった。津市の別所書店でその人の著書を初めて手に取った。トンデモない中身なので戻そうとしたがとても気になる。徳間書店や旺文社のような有名な会社から出版されていたので、気を取り直し政木氏の著書を再び手に取った。爾来理解を超えた著書の数々を読むようになった。発明家として有名で、我々のガス業界にもかなり貢献して頂いている方だと分かった。発明された数は1000件を超える。エレキギター、魚群探知機、嘘発見器、自動炊飯器、瞬間湯沸器、歯科治療用ドリル、普及型カラーテレビなどきりが無い。またそのロイヤリティーは、ほとんど放棄したというから、世俗の方ではない。
一瞬で発明し、申請手続きに5、6日かかった。だから1週間に一件特許を提出し、関係者の間では有名だったそうだ。氏が残した事柄は、これから時折紹介しようと思っている。
私は、不思議な話でも、むやみに否定することも肯定することも非合理であると思うので、「保留」という形で心に留める。
今回もその物理学者の著書を保留という形で読んだ。
内容は破天荒でまるでインディージョーンズの映画のように次々に事件が起こる。アウトバーンを走行中にとんでもない方程式が額に浮かんだり、マリア様が現れ末期に近いガンの命を救われたりと、手に汗握る興奮を覚えた。
その中でサムハラ神社の事が大きく取り上げられていて、自分にもそのような不思議な体験が出来れば良いなぐらいに思っていた。
同年夏、ガス業界のセミナーが兵庫県で行われた。その年も参加手続きをして当日向かったが、今回は何故か気分が乗らない。引き返そうかと思うほど身体が重だるい。
鶴橋駅で乗り換える時、ふと気が変わって違う電車に乗ることにした。
携帯のナビを使って、地下鉄千日前線の西長堀駅か阿波座駅のどちらかで降りて、徒歩で神社に向かった。
次第にあまり見かけることのないカタカナの神社の看板が見えて来た。その神社は、大阪府警の隣に小さく佇んでいる。
参拝し、社務所でお札を購入した。有名な指輪は、やはり無かった。
小さい神社だ。他にさして見るものがあるわけでもないので一通り見てすぐ帰った。
会社に戻ると、あろうことか、セミナー主催者から欠席確認の連絡が入っていて、ズル休みがすっかりばれていた。
気まずい思いでお札を書類棚に立てかけておいた。しばらくするとお札のことはすっかり忘れてしまっていた。
翌年の2016年3月までそのままになっていたのだ。
その間、その物理学者の著書をほとんど読んだ。
名前は、保江邦夫教授(当時)。
「ヤスエ方程式」で世界的に有名だそうだ。
2016年3月になって、伊勢神宮のお札を遅ればせながら神棚にお祭りした。あそうそうと思い出しながら、サムハラのお札も横の小さな神棚にお祭りした。
数日前に2つ購入して洗面器につけておいた榊の1つが早く枯れてしまっていたので、1つを2つに分けて花瓶に挿した。
一週間してそろそろ枯れる頃かなと見上げると、活き活きとしている。
途中で水を替えるだけで、二週間三週間と青々としているではないか。ずいぶん長持ちしているなと思うだけだった。
一月たち、二月たち榊は枯れないばかりか、初夏になり少し大きく成長した様に見える。
私で無くても、この辺りになれば当然何かあるなと思うだろう。
6月になりまだ枯れない。いよいよ大変なことになった。まさか本当に呼ばれているのか? callingというものか?
岡山県の山奥にあるサムハラ神社の奥の宮に、私は本当に導かれているのかも知れない。
心の底では、呼ばれているのであれば喜ぶべき事だが、まさかそんなことは・・・。
7月になると榊はますます大きく伸び伸びとしてくる。
間違いなく呼ばれている。そう思い、ようやく具体的な計画を立てた。
しかし8月にしかいけない。8月17日に岡山県にある奥の宮に行って、25日に大阪へ行こうと計画を立てた。その間にもし枯れたら行かないつもりで・・・
計画を立ててからなぜだか妙な安心感が胸一面にあることを感じ取っていた。
いやいや何も起きないだろうとかき消したが。
保江氏の共著の中に、柏手のことが取りあげられていた。二拍手は、言霊的には神の力を封じる力があると言う。古来から三拍手とか様々あり、出雲大社では四拍手、伊勢神宮の正式な作法では八拍手であり、神の力が大いに放たれるのだと言う。
二拍手に一元化されたのが明治維新政府が最初。次に二拍手が徹底的に指導されるようになったのが定かではないがGHQによるらしい。その経緯を考えると、国民に力を与えたくない時の為政者側の都合によって、二拍手が押しつけられたのでは無いかと思うようになった。なので奥の宮での作法を四拍手に決めた。
つまり、二礼・四拍手・一礼だ。
また、合気道の創始者である植芝盛平の体に、あるとき衝撃と共に降臨したのがサムハラ龍王という。それを境に武道が飛躍的に力を増したと言う。数ある祝詞の中には、「龍神祝詞」と言う祝詞がある。決して長くない祝詞であるから手軽でもある。
サムハラの神様の前で龍神祝詞を奏上しようと決めた。ずぶの素人だから、何回も動画でその祝詞を勉強した。しかし付け焼き刃だ、はたから見たら滑稽に違いないだろう。
二つの事柄を決め、祝詞の本も準備しその日を待った。
この数ヶ月の間、何かが起きる予感がして仕方なかった。
岡山へ行けば何かが起きるのだろうか?
次回を乞うご期待!