2014/11/26
原町大甕のセブンイレブンを出た私たちは、飯舘村へ向かう。
この飯舘村の異様な現状は、産経新聞でも報道していたようです。
逆光の先は、回収された汚染土。
家の空き地に積み上げられた汚染土。右の方に二人の作業員の姿が見えます。
当たり前ですが、防護服の作業員以外、住民の姿は見当たりません。自動車の整備場だけ営業していました。
村民の方達の多くは、地域ごと相馬市の大野台と言うところへ移転し、仮設住宅で暮らしていらっしゃるそうです。移転先はもともと工業団地だったそうです。
避難を拒むご老人達が現在も住まわれているとのことですが、私達が訪れたとき姿は見えませんでした。
このような光景が続きます。
この道路をすれ違う車は多く、まるでどこにでもあるような村のように錯覚させます。
人の姿のない、この村の様子だけがじつに異様な光景です。
防護服でシャッターを除染する作業員。車窓から。
仮置き場に高く積み上げられた汚染土。
汚染された表土は、表面から5㎝そぎ落とします。作業には防護服とマスクが必要です。
セシウムが表土に結合しているので取り除き、最終的にはそれらを集積して、土をかけて長期保管しておけば、放射能が自然に半減して安全な範囲に落ち着いていきます。
仮置き場はいくつもあります。
飯舘村を過ぎて避難区域から出ると、生活する人々の姿が見えてきます。
子供達の通学する光景に出会うことが出来ます。
この光景の落差には、驚かされるものがあります。
我々はその足で、福島市の駅東口にある福島県除染情報プラザに向かいました。
http://josen-plaza.env.go.jp/
2014/11/23
南相馬の復興は相馬に比べ遅れています。
それは、事故を起こした福島第一原子力発電所に近いからです。
家の壁に津波の高さが記されています。南相馬市蒲庭。 道路の各所にも津波のあった場所を示す道路標識があります。
奇跡の一本松が見えてきました。
陸前高田にも「奇跡の一本松」があります。
青い空にそびえ立つ南相馬市かしまの「奇 跡の一本松」は、根がしっかりしていて生き ています。
写真をクリックすると写真が拡大され字が読めます。
瓦礫が山になっています。
この付近はサーフィンの大会が開かれていました。
そしてキャンプ場があった場所です。
南相馬市にはまだこのような被災した家屋が放置されています。大型の重機が入れないところはこうなるようです。
南相馬市原町のセブンイレブンでコーヒー休憩。
当時原町のこのコンビニのすぐ近くから通行禁止区域になりました。
自衛隊、消防隊、警察など災害救助に当たる方々の食料の拠点となり営業し続けました。
南相馬を後にし、飯舘村を通ります。
つづく
2014/11/21
相馬 野馬追い で有名な神社
途中神社に立ち寄りました。相馬中村神社。
相馬野馬追いは、こちら http://www6.ocn.ne.jp/~nomaoi/
古い絵馬を眺める、黄色いズボンの人。
その後、新婚の片桐君が勧める昼食場所に向かいます。
行列が出来る”たこ八”
この近辺の海辺寄りの道路は、地盤沈下し、下水道管のマンホールが上に飛び出しています。
海鮮丼をいただきました! 新鮮!
食事中、7人ほどが入ってきて我々のテーブルの隣に座りました。
服には、環境省の文字。頻繁に訪れているのでしょう。
もともと相馬は新鮮なお魚で有名でした。
近くの漁港も復興しましたが、今はまだ試験操業で実際の漁は行われていません。
放射能が基準値以下になるまで再開されません。
食後、道の駅「そうま」へ向かいました。
道の駅の中の、震災伝承コーナー
お土産に買ったお人形。当社お店にも飾ってあります。
人形を追加注文する時、売店の方々からお話を聞きました。
この道の駅からほんの少し離れた場所にある三つの集落で、一度に260名の命が集落ごと流されたと言います。新しい住宅が建ち並んでいたそうです。
手作りのお地蔵様。優しい顔をしています。
優しい顔をした相馬のお地蔵様。お店に見に来て下さい。そのままの価格で販売もしています!
いよいよ南相馬へ向かいます。
つづく
2014/11/19
福島 絆 弾丸ツアー行程表
復興半ばの福島県相馬市・南相馬市、飯舘村の除染風景、福島除染情報プラザを視察してきました。
わずか一日足らずの視察でしたが、報道等だけでは分からない、現地でしか感じない視察となりました。
<絆 弾丸ツアー>を計画するに当たり、現地「福島観光復興支援センター」の菅野様に詳細な計画を立てて頂きました。
「観光復興支援センター」さんによる詳細な行程表
また相馬「語り部タクシー」馬陵タクシーの片桐君(新婚さん)には、たいへんお世話になりました。
震災当時ガソリンが不足して大変な状況でした。電気が止まっていたので、暖を取るため車中で寝たり、一日中過ごす方が大勢いてガソリンがたくさん使われました。
ガソリンスタンドも、人力で汲み上げたり、ローリー車が瓦礫のために届かず不足してこちらも大変でした。
そんな中LPガス仕様のタクシーはスイスイ走っていたことを、ご記憶されている方も多いと思います。
その後日本車の技術は、あっという間にLPガス・ガソリン併用のハイブリッド車をつくってしまいました。
それがこの車です!
相馬 馬陵タクシーのプリウス。乗り心地は満点!
LPガス充填接続口。
トランク下にガスタンクがあります。
私たちはこの改良版プリウスでほぼ一日移動しました。実に静かで快適でした。
LPガスの方が安いので、右膝当たりにある切り替えスイッチでLPガスを選択。ガソリンはほとんど使わないそうです。
電気のモーターとのミックスなので力の弱さを感じさせません。
さて、我々は仙台空港からタクシーに乗車しました。
仙台空港も津波の被害がありましたが、早く復興されました。
ダンプカーが行き来しています。
左側をよく見て頂きますと、実際の若い運転手さんの顔写真と違います。一日貸し切りのお客さんを乗せるということで、先輩から借りたそうです。馬陵タクシーさん気を遣ってくれてます。
福島県相馬市に入りました。
防潮堤はもっと高く作られる予定だったそうですが、津波が全然見えなくなるので、かえって危険ということで少し低くしたそうです。岩手県田老地区の日本一の高さの防潮堤がそうでした。高い津波が乗り越えてくるまで車が行き交っていました。そのせいで人の避難も遅れることがありました。
火力発電所。震災時近くの海で石炭船が座礁したそうです。
原釜の慰霊碑。黄色いズボンの当社社員。
なぜか黄色のズボンをはいてきた当社社員。・・・・・。黙祷。
彼のためにいっておきますと、ネクタイだけは締めてきてました。
語り部タクシーは被害が大きかった福島県の浜通を走ってくれます。
福島県は幹線道路が3つあります。海寄りの浜通り、山側の会津通り、中間の中通りです。
慰霊碑の周辺。
同じく周辺。
相馬市は、福島原発から離れているので復興は進んでいるそうです。これから向かう南相馬市はまだ瓦礫が残っているとのこと。
漁港に建った漁師さん達の倉庫。
吊り橋の袂には、公園が有り市民の憩いの場だったところ。今は、工事車両以外通れません。
建築中の公営住宅。
公営住宅には、平屋と二階建てがある。
公設住宅。写真は一人住まい用の共同住居。相馬市尾浜
個人用住宅。
二階建て住居。
北飯渕の仮設住宅へ向かう。
仮設住宅にも種類があるそうです。写真の建物は断熱性が悪く、冬と夏が厳しいそうです。
つづく
2014/11/06
当社では、冬の制服を支給する季節になりました。
サイズが変わらない人も、変わった人も。
”エル(L)・エム(M)・エス(S)サイズ”の中から選びます。
もちろんエルエル(LL)以上もあります。
おそろいの制服です。
”エル・エム・エスサイズ”は、呪いの言葉ではなく、おそろいの言葉。
ところで”エロエムエッサイム”は、 悪魔君に出てきた呪文でしたね。
2014/11/05
塩化亜鉛の治療をしてくれる病院の近くに、
現代風で4階建ての立派なお菓子屋さんがある。
店の名前も奥ゆかしく掲げてあって、あまり目立つと言うことはない。
時折見ると、小さなのれんが揺らめく。
病院の事務員さんが言うには、たいそう古く、江戸時代からあるとのこと。
どんなお菓子が有名なんですかの問いに、種類は一つだという。
どんな1種類のお菓子で、こんなお店が建つのかと入ってみる。
箱詰めされたお菓子が無造作に積んである。
「一箱800円です。」
ところで車の中がなにか匂う。
味噌だ。お味噌の匂いだ。
戻って会社で食べる。「味噌松風」と書いてある。
お味噌の香ばしく甘い香りを口中に、時空をトリップした。
御所近く歴史とともにあるその屋号が、地元の人々に根付いていることは言うまでもない。
だから奥ゆかしく、凜としている。
2014/11/03
この秋、ご近所の方々と<天橋立・日帰りバスツアー>へ行って参りました。
天気が良く、楽しい旅行でした。
食べ尽くしてやりました! ハハ
紅ヅワイガニが美味しかった!
展望台で食べたソフトクリームが美味しかった!
幹事さんのおかげで、
何もかも良い旅でした!
ご苦労様でした。