終戦記念日にあたり
父方の祖父は、
北支事変にて戦死している。
子供の頃そのことを知った。
当時少年漫画は、
『ゼロ戦隼人』、『ゼロ戦レッド』など
──この作品はどちらも貝塚ひろし氏の著作です。他の著者も大勢いる。
戦闘機物のマンガが流行っていた。
男子児童にとっては胸を熱くして読んだものだ。
他にもいくつかそのようなマンガがあって、
祖父もこのように勇敢でかっこよかったんだろうなー
と想像し、心の中で誇りに思ったものだった。
もちろん、会ったことなど一度も無い。
しかし、いつかあるときから
そのような戦闘マンガが
一斉に総ての漫画誌上から消えてしまった。
確かPTA等からの圧力があったと記憶する。
その後小学校高学年の時、
先生から「日清日露戦争までは良かったが、
太平洋戦争はひどい戦争で、
日本兵はとても悪いことをしました。」
と、教えられた。
──今思えばこれは「司馬史観」(東京裁判を元にした歴史観と思われる)というもので、世界史から見た評価などではない。
──PTA等の圧力も同じような、戦後行われた東京裁判史観・自虐史観の趣旨からである。
その上中国人に対する残虐行為の写真を見せられ、
──視覚から入る印象付けは、感受性の高い高学年には特に効果的であった。
その時点からすっかり日本兵に対する恐怖心を植え付けられてしまった。
当然それ以来、罪悪感をもって祖父のことを思うようになり、
祖父も悪いことをしてきた・・・と。
偉そうな大人達も、大したことないじゃないかと!
思うようになっていたのです。
今思うと、それは橋下大阪市長が取り壊そうとしている、
悪名高い「ピース大阪」(平和記念館)にあるような写真資料だった。
──「平和(ピース)」と呼称がつく建物は概ね急進的左翼の施設である。
根拠が不確かで、なんとでもキャプションが入れ替えられるような写真を使って、
悪意をもって日本兵はこんなに悪いことをしたと、思い込ませる為の施設だ。
そこには、大阪府や大阪市から毎年税金が投入され続けてきたのだ。
例えば、教師から見せられた残忍な写真は、
もともと中国内で「匪賊が馬賊を処刑した」と説明されていた写真を使って、
日本兵の仕業に書き換え、キャプションを付け替えた写真だったのだ。
残念だが人生もかなり後になってからその真実を知るようになる。
思い込みの強い教師から、半生を間違った観念に捕らわされていたのだ。
──「南京大虐殺」も同じ類いの資料ばかりで、長い間悩まされてきたことが馬鹿馬鹿しくさへ思える。
──今「いわゆる従軍慰安婦問題」が、小説家志望の元日本兵の吉田清二氏なるものが、創作した内容が発端であったことが広く国民に知れ渡るようになった。朝日新聞がその小説をもとに一面で扱い政府を慌てさせ、その混乱につけ込み謝罪に追い込んだのだ。世界に対しまるで、事実の事件にしてしまった。南京の件も同じようにルポ「中国の旅」(本田勝一著)をもとに、朝日新聞が東京裁判の判決を利用し事実のように創作したのである。当時従軍した新聞記者達は、朝日・毎日新聞を始めそのような事件は無かったと証言した(『「南京事件」日本人48人の証言』阿羅健一著)にもかかわらず問題は肥大化して行った。
今話題のいわゆる「従軍慰安婦」について
当初、早く謝罪をしたら!? と思っていたのだが、
・・・どうもおかしいぞ、と思い始めた。
この問題をきっかけにして
近現代史に興味を持ち、
教科書問題にも興味を持ち、
次第に、祖父に対して
失った誇りを回復することが出来てきたように思う。
一度も会ったことの無い祖父との
縦糸の回復であったし、
同時に日本への信頼の回復でもあった。
そして2000年(社)日本青年会議所において、
現行の歴史教科書のあまりのひどさ加減を、
メンバー各位に周知させ、
本来の近現代史はどういうものであったかという提言書を、
全国の青年会議所(JC)メンバー20数名と、
各表題ごとに作成した。
題名は『我が子に伝える誇りある近代史』 ──現在JC公式アーカイブで閲覧できる。
http://archives.jaycee.or.jp/document_list.php?category_code=1214-1729 (クリック)
【表示】を見開きにすると読みやすくなります。
残念ながらここにupされている内容は、最終稿ではなく制作途中で、
ここから削除、訂正などが行われていることをご了承頂きたい。
なお、完成後も誤植が数カ所見つかっている。アーカイブ時点での誤植は、例えば次のようなものがある。
例)死するともなほ死するとも我が魂(たま)よ永久(とわ)にとどまり御国(みくに)守(脱字)らせ
※この題名を決める時の委員会は、関東で開催された。私は終了一時間ほど前に明日の仕事を考えて早退させて頂いたので、題名には深く関われなかった。数日後?題名を聴いた。良いと思ったが、「近現代史」が正しかった。
この提言書の作成過程がおもしろい。
──物書きではないので非常に辛かったが。
当初、組織上層部の方々から見れば、
我々の委員会は右翼と思われていて、
遠巻きに見られ、怖がられていた。笑
有名な「従軍慰安婦・南京大虐殺」問題などには、
特に関心があったようで食い入るように読まれたそうだ。
現状の歴史教科書の歪曲された文章を指摘していく作業など通して、
次第に受け入れられていくようになり(?)、
「こんなに酷いのか!?」と、反応が返ってくるようになった。
当委員会の主幹事さへ、執筆者達を当初右翼と怖がっていたことを述懐し、
実際には書かれていることがあまりにも普通で、常識的に思えて、
ここに書かれている事柄こそ、左右どちらでもない真ん中だ!
と、途中から思えるようになったと、
真剣な面持ちで打ち明けてくれたのをよく覚えている。 笑
その正直な彼は、学習塾を経営している。
──その後(社)日本青年会議所では、同委員会を継続事業としなかった。
──ここに書かれていることが本当かどうかを調べていくと言うことらしい。
──事実2005年頃から近現代史について行動し始めているようである。
他にも驚くことや感動するようなことがいくつもあった。
今日は終戦記念日だ。
もうじき正午になる。
黙祷をささげよう。