白山比咩神社の歴史

白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)の歴史

 

 

「往昔(おうせき)、家城村の住人に家城与左衛門の息子円乗坊(後に鎮徳上人)という高僧がいました。上人が諸国の神社を参拝し、加賀の国一の宮・白山権現に詣で大麻(たいま)を受け、故郷の老母に会いたくて帰国の途中、雲出川の瀬戸ヶ淵の岸で路傍の石に笈(きゅう。下段写真例。)をおろして疲れを癒やしているとき、笈の中から七羽の白鷺が飛び立ち、南出・竹原・飯福田・山田野・八対野・川口・家城の七ヶ所に舞い降りました。後に、鎮徳上人はこの七ヶ所に祠(ほこら)を建て、加賀白山・白山比咩神社の御分霊として奉斎したのが始まりと伝えられています。

 

万治(まんじ)2年(1659)の「山雄田興廃記」によると、昔は社殿・建物・宝物・記録など整っていましたが、永禄12年(1569)の織田氏軍勢が北畠氏を攻めたとき、北畠氏の祈祷所であった当神社は兵火にかかり、そのほとんどを消失しました。慶長20年(1615)に本殿が再建されました。寛文2年(1662)にも再び本殿が建立されました。現在の本殿は、この時建立されたものです。以後、拝殿・参籠所(さんろうしょ。神社・仏寺などに昼夜こもって祈願するところ。)など時を追って復興し、昭和60年(1985)・61年(1986)の二ヶ年にわたり本殿の大改修が行われました。また、新しく参道を付け、平成6年(1994)10月には、氏子一同の寄進による大鳥居が完成しました。

 

平成24年(2012)には、本殿が再建されて350年という記念の年になります。覆屋(おおいや)・玉垣(たまがき)・参道の改修、防風壁の設置、手水舎の改築、燈籠の建立等の神社周辺整備をし、10月28日(日)には、本殿再建350年祭を斎行する予定です。」────正白山 白山比咩神社